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高知県の名主の祟り病『ほっぱん』とは?土佐風土病の掛川信吉の言い伝えや現在。
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こんちはニッチマンです。

病気って昔は原因が祟りや悪霊の仕業とされていることもあったんですよね。ペストなども悪魔の仕業とされていた事もあったり。。。そんな風土病、日本の四国にあったのをご存知でしょうか?

 

村人を襲う名主の祟として恐れられている『土佐のほっぱん』。一体どういう病なのか?そして今現在もまだあるのか?気になったので調べてみた。

 

名主の祟?土佐のほっぱん

土佐のほっぱんは高知県南西部に面した地域で発生した風土病の一種でとある伝承により、『名主の祟り』ではないか?と恐れられて来た病です。

発病すると突然原因不明の高熱にうなされ、やがて全身に不気味な赤や紫の湿疹が広がり、発病から数週間のうちにかかった者の約半数が死に至った事もあるという恐ろしい病。

 

死亡率の高さもさる事ながら、前兆がほぼ無く、さらに全身に出来る湿疹の不気味さから『名主の祟り』とされてきた背景があります。

土佐のほっぱんは名主の祟り?その伝承は?

土佐のほっぱんが名主の祟りとされる謂れは上記の様に奇妙な病状から。ではその元となった名主に関する伝承はどうなのか?

 

ほっぱんの発生池の伊田地区に伝わる伝承によれば、その昔、伊田の村に掛川信吉という名主がいたのだが、ある時殿様が所有する材木を村の衆がしらずに使ってしまった。

 

その行いは当然村人の纏め役であった信吉へと責がゆき、信吉は自害をするように命じられる。この信吉が、自分の死の原因となった勝手に使った村人と、自害を命じた殿様に対する祟ではないか?と伝わっている。

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掛川信吉は実在した?

高知県に『掛川』姓の名主が実在したのか?こちらも気になって調べてみたが、それらしき情報は出てこなかった。ただ、土佐藩の藩主である山内家は、土佐藩を山内家が治める以前は掛川城の城主であった。

 

その事からもしかしたら『掛川信吉』もお上から掛川姓を賜ったのかもしれない。または静岡県の掛川村の出身者が山内家が土佐へ入国する際に随行してお、りその中にいたのかもしれない。

 

ここでははっきりとした事はわからなかった。

名主の祟り『ほっぱん』の正体は『トサツツガムシ』

ほっぱんの正体はもちろん名主の祟りなどではなく、『トサツツガムシ』によるツツガムシ病。ツツガムシ病とはダニの一種であるツツガムシに刺される事で起こるリケッチア症の事である。

 

なお、余談ではあるが『つつがなくお過ごしください』の語源はツツガムシじゃないらしい。。あれは後付のお話なんだと・・・さて話をもどして。

 

ツツガムシのライフサイクルでは、幼虫期に一度だけ哺乳類の組織液を吸うらしく、その時にさしたツツガムシがリケッチア菌を有していた場合のみ感染する可能性があるらしい。

 

逆に言うと、『無毒なツツガムシ』もいる。ツツガムシの毒(菌)の以降は『経卵感染』、つまり、毒のあるツツガムシからしか毒のあるツツガムシは生まれない。

 

仮にリケッチア菌を保つ動物がいるとして、その組織液を吸ったとしても無毒のツツガムシが新たに毒を獲得する事はないらしい。

ほっぱんの治療法やその後は?現在もほっぱんはある?

ツツガムシ病と言うことで、治療法も確立している。基本的には抗菌剤などの投与によっての薬物療法となるようだ。トサツツガムシによるリケッチア症は早期発見が大事とされる。

 

トサツツガムシによるリケッチア症は死亡率が高い事が特徴に挙げられているのだが、これはトサツツガムシが媒介とする菌の血清型(微生物・ウィルス・細胞の型)が危険な血清型だということを示していると思われる。

 

又現在において『土佐のほっぱん』は1959年に報告されて依頼、途絶えているらしい。トサツツガムシによる感染症はなくなったが、別種のツツガムシによる軽い感染症はその後も報告されているようだ。

 

だが、トサツツガムシ自体は絶滅はしておらず、現在も四国に生息しているらしい。2014年頃に香川県にて一匹だけ藪から個体を採取されているようだ。

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まとめ

以上で名主の祟りといわれていた土佐の奇病『ほっぱん』についてでした。トサツツガムシって実は土佐以外でも生息してるのですが、どうも伊田地区以外で『ほっぱん』が発症したという話がないようなのです。(馬宿病をほっぱんにするなら別ですが)・・・

 

トサツツガムシによる感染症とはいえ、なにやら謎めいている感じもありますね。以上となります。