こんちは!ニッチマンです。
誘拐事件ってアメリカの方がやっぱり
派手な印象がありますよね。
自分自身の力で脱出と試みたりした
話も多く聞きます。
ですが今回のはちょっと様子が違う。
犯人と交渉をして犯人と警察の仲介を
した被害者の話。
アメリカネブラスカ州で実際におきた
少女の勇気ある行動が事件を解決へと
結びつけました。
アン・スルティ誘拐事件とは?
2001年4月6日にアメリカネブラスカ州カーニーの
HIPTOPモールへ向かう少女、アン・スルティ(当時
17才)誘拐され、事件発生の6日後にモンタナ州の
人里離れたキャビンで保護、犯人逮捕された事件。
この事件の大きな特徴は犯人逮捕に結びつく物的
証拠を残そうとしたり、犯人と交渉したのち、そ
の条件を満たして自身の安全を勝ち取るなどアン
の勇気ある行動に称賛が集まった。
事件について時系列で見てみようと思う。
アン・スルティ誘拐事件一日目4月6日
アンは4月6日の午後6時から半の間に
地元カーニーにあるショッピングモール
へ買い物する為にでかけていた。
買い物を済ませ30分後モールから車へと
戻ると彼女の車の近くに怪しい車が
止まっているのを発見する。
おかしいと思いつつ車に乗ろうとする
と銃を持った男が車から近づいてきた。
この男が犯人のトニー・ザッパ。
男はその車をよこせと言い、アンは抵抗。
男の車に連れ込まれ、頭やこめかみ、
顎を殴打され、車の床に伏せてしまった。
男はそのままアンを連れ去り、あたりが暗く
なる頃にはあんの手首と足首を鎖で縛ったが
しばらくして鎖は外されたが、男が運転を
誤り、溝に車をおとしてしまう。
近くの農場から道具を盗み、溝からタイヤを
戻そうと試みるも失敗。
運搬用の機械を盗みそれを使い車を脱輪
から復旧させ、スプリングビューの街まで
逃げた。
アン・スルティ誘拐事件2日目まで
誘拐から翌日の4月7日までの起こった
事柄をまとめる。
脱輪の影響でタイヤ交換が必要になり、修理の
為にスプリングビューの街で物色。
その間もトニーはアンを必要以上に離れさす
ことはなく2フィート以上離れないように気を
配っていた。
二人は4月7かまではウィヨ州のシェリダンに
いたが、その間にアンの捜索願を出されるのを
遅らせる為のアリバイ工作として、アンの友人
に電話をして休暇旅行に出てると言えと強要。
だがアンは実家に電話して友達にかけていると
偽装。
電話の内容が指示したものと違う事にトニー
は怒り、電話を切ってしまう。
4月7日の夜にアンは車から脱走を試みるも
失敗、トニーに捕まりテープで縛られてしまう。
その夜、アンはトニーに暴行をうけてしまう。
アン・スルティ誘拐事件4月8日
4月8日にトニーはモンタナ州リビングストン
の山小屋に盗みをするために潜入。
この時、山小屋の電話を使い隙きを見てアンは
911に電話をするが、途中でトニー気づかれ
切られてしまった。
この時、トニーはアンに『今すぐお前の頭を撃
った方がいいかもしれない。』と伝えた。
イエローストーン国立公園の北、モンタナ州ベ
オグラードでトニーは家に押し入った。
そこでスルティが女性用の服を見ていると
トニーが割り込んできて暴行を働いた。
また別の家ではお金や食べ物。スルティ
の着替えやトヨタのターセルを盗んだ。
アン・スルティ誘拐事件4月9日~10日
トニーはその後もキャビンなどに潜入して
窃盗を繰り返していた。
チェーンやカヌーなどのキャンプ用品を
盗み。スルティに3回目の暴行を働いた。
このキャビンの中でスルティはトニーが
消し続けていた痕跡を残そうと、暴行された
折に来ていた下着をそのキャビンの台所に
捨てた。これは警察が物的証拠を確保する
のを見越しての行動だった。
又アンは「アン・スルティ、4-10-01. Help "
と "I love my mom, dad and brother "と書か
れたメモを金属片を使って残していた。
10日の日、ニュースでトニーとスルティ
の写真と盗まれたサバーバンとターセル
の写真が写った誘拐事件のニュースがなが
れ始めるのを見た。
アン・スルティ誘拐事件4月11日目
トニーはニュース報道をみて興奮します。
怒りに任せ4回目の暴行をアンに加えた。
その日の内に駐車していた車から不審に
思い、住民が通報。
警察が家を取り囲み始めます。11時間に
及ぶ膠着状態の中、アンは警察とトニーと
の中継役を担い、警察はトニーと直接
交渉することはほとんどなかったそうです。
結果としてはトニーは説得に応じて捕まり
アンは無事保護されます。
が保護した時はアンにも手錠がかかったそう
です。その理由は彼女が盗まれたジュエリー
を身に着けていたから。。。強盗の仲間の
疑いかかかっていた様ですね。
無事疑惑は晴れ、トニーは40年以上の刑を
受けているとのことです(終身刑という話も
あるが海外メディアでは40年だった)
まとめ
17才の少女が受けた理不尽な事件。
日本でも無いとは言えない事件です。
事件解決のために勇気を出して起こした
行動の数々。
そんな彼女はこの事件の後、エンジニアの
道をすすんだそうです。
以上となります!