
こんちはニッチマンです。
イェール大学をご存知でしょうか?アメリカの名門校でエリートたちが集う学び舎。もちろん研究も盛んで、薬学部などでは動物を使った試験なども行われています。
そのイェール大学にて2009年に悲劇的な事件が起きました。アニーと呼ばれる博士課程の大学院生がその尊い命を奪われてしまったのです。
この事件は当時アメリカでも大体的の報じられ、日本の首相が変わったニュースが端に追いやられる程だったそうです。
今回はこの『アニー・リー』に関する事件についてちょっと調べてみた。※海外メディアを参考にして執筆してます。誤訳している部分あるかもしれませんがご了承ください。
イェール大学院生アニー・レイ事件
まず最初に被害者のアニーについてのプロフィールを。
アニー・レイのプロフィール
出身:カリフォルニア州プラカビル
没年:2009年9月8日没(24歳)
没地:米国コネチカット州ニューヘイブン
死因 :首の圧迫による外傷性窒息症
発見: 2009年9月13日
国籍: アメリカ
市民権 :米国
最終学歴 :イェール大学(薬学博士号取得)
母校 :ユニオンマイン高校・ロチェスター大学
殺人事件の被害者として知られている
身長:高さ4フィート11インチ(1.50メートル
彼女はベトナム系アメリカ人の家庭で生まれ幼少期は叔父と叔母に育てられた。高校時代から成績は優秀で卒業時にはクラスの総代であり、投票で『次のアインシュタインになる可能性が最も高い』学生だった。
奨学金16万ドルを得た後ニューヨークのロチェスター大学へ進学。専攻は生物発生生物学で副専攻は医学人類学を修め、イェール大学の大学院に入学。薬理学の博士号を取得。
研究内容は糖尿病や特定の癌の治療などであった。2009年の9月13日にコロンビア大学の学生であったジョナサンと結婚予定であった。つまり結婚の5日前に起きたのです。
この様に優秀で未来ある彼女に起きた悲劇とは?
2009年9月8日に起きたイェール大学での事件
2009年の9月8日にアメリカ合衆国コネチカット州ニューへイブンにあるイェール大学のキャンパスで起きた事件で当時24歳だった博士課程の学生、アニー・マリー・レイの身に起きた悲劇的な事件。
ニューヘブンキャンパスの研究等で9月8日に目撃されたのを最後に、彼女を生きてみる事は二度となかった。
事件の犯人は同じキャンバスの中で働いていたイェール大学の研究技術者のレイモンド・J・クラーク3世。
一体彼と彼女の間になにがあったのだろうか?当日のアニーの足跡から追ってみようと思う。
事件当日の被害者アニーレイの行動は?
事件当日。9月8日の朝に彼女は自分のアパートをでて、イェールトランジットに乗ってキャンパスに向かっていた。イェールトランジットとはイェール大学が提供している研究者や教職員・学生用の交通機関でシャトルバスを想像してもらえると良いと思う。
目的地はキャンパス内にある施設『スターリング・ホール・オブ・メディスン』。午前10時頃彼女はスターリングホールをでて別のキャンパスビルへ向かった。
そこはアミスタッド通り10番地にある彼女の研究室のあるキャンパスビル。この時、彼女は手ぶらであり、貴重品(財布や携帯電話など)はスターリング・ホールのオフィスに置いていた。
彼女が研究室のあるビルに到着したのが午前10時過ぎでこれは防犯カメラの映像にも記録されている。この映像を最後に彼女がキャンパスビルから出るのを目撃される事はなかった。
そしてこの日、9月8日の夜の9時に彼女のアパートの5人のルームメイトの一人が彼女が帰って無い事に気が付き、警察へ連絡をいれた。
アニーレイ事件の警察の捜査
防犯カメラの映像から警察はキャンパスビルからアニーが出ていない可能性があり、捜査の為に同ビルを閉鎖。そして証拠となるものを犯人が処分していないか?とハートフォード(コチカネット州の都市)のゴミ処理場も捜索。この処理場にイェール大学のゴミが集まってくる。
FBI,ニューヘブン警察、コチカネット州警察を上げての大捜索となった。そして事件開始から6日目の9月13日、警察はキャンパスビルの地下の壁の中にあるケーブルチェイス(たぶん配電盤みたいなケーブルを収める所)の中から彼女の変わり果てた姿を発見する。これは異臭を感じた捜査官が警察犬による捜査に切り替えた事で発見された。4
これ以前には血まみれの服(靴下等)が天井のタイルの裏から発見されていた。このビルの周りには75台もの監視カメラがあり、更には入り口や各研究室ではIDカードによるセキュリティチェックが必要であった。彼女が発見された地下研究室などへいくには外部の人間では困難と主張し、イェール大学内の教職員・研究者・学生に調査を集中させていった。
この時すでに警察はレイモンド・クラークを怪しいと思い調査を勧めていた。理由としては学生らから聞いたアニーとの関係でネズミのケージを置き去りにした事でメールをアニーに送っていた事が確認されている。
アニーの死因は『首の圧迫による外傷性窒息症』と結果がだされていた。また着衣の乱れもあった。イェール大学の研究室のある学生が『スワイプオール』(不織布キッチンペーパー見たな感じのもの)の箱に血液らしき物が付いていたと警察に報告。
この時レイモンド・クラークは証拠隠滅の為にワイプの箱を移動させたという証言もあり、また現場のゆかの排水管をこすっていたとの情報もあった。
その後の調査の結果、アニーの体と衣服に残っていた体液がレイモンドのDNAと一致した事やその他数々の証拠がでてきたことでレイモンド・クラークは逮捕されれた。
宣誓供述書によると、レイモンド・クラークのIDカードの不自然な使用痕跡やアニーと一緒に発見されたペンなどが証拠として上がっている。このペンにレイモンド・クラークとアニー両方のDNAが採取されており、書類のサインをしていた形跡もあった。
犯人レイモンド・クラークの動機は?
この事件で実は一番の謎と言われているのが犯人の動機である。宣誓供述書にも動機については『職場での暴力』と語られてはいる。レイモンド・クラークの同僚は彼と学生の間にわだかまりがあることを示唆。それは実験動物の管理不行き届きなど研究に支障が出る可能性があることを嫌っての事だった。
つまり、職場の仕事での軋轢が犯行の動機では?と考えられているようだった。しかし取り調べをしたニューヘブン警察と大学の関係者はそのような事実は無いと回答している。
動機については一切明かされることがなく、上記のような学生への不満を持っていたなどという話も『すべて憶測』であるのだ。その上で動機は『職場での暴力』と表現せざるを得なかった。
彼は後に裁判にかけられて被害者遺族に謝罪するのだがその中でも具体的な動機の供述はされなかった。
「アニーを友人や家族、そして何よりも婚約者から奪ってしまったことを本当に後悔しています。私はいつも正しいことをしてトラブルに巻き込まれないようにしてきましたが、失敗しました。アニーの友人や家族、婚約者が座って待っている間、私は命を奪い、それについて嘘をつき続けました。私は本当に誰かを傷つけたり、誰かに精神的な苦痛を与えようとは思っていませんでした。私は良い息子、良い兄弟、良いフィアンセでありたかっただけなのに、またしても失敗した。自分を責めているのは自分だけで、自分のしたことに言い訳はできません。アニーは素晴らしい人だったし、これからもずっと素晴らしい人で、私の人生の中でもずっと良い人だった。嘘をついたこと、人生を台無しにしたこと、そしてアニーの命を奪ったことを謝ります。』
と述べています。
レイモンドクラークの逮捕後、裁判や刑期は?
レイモンド・クラークはコネチカット州スフィールドにあるマクドゥーガル・ウォーカー矯正刑務所に300万ドルの保釈金で収容された。
2009年の10月6日にコネチカット州高等裁判所に出廷したが、容疑を否認しており事件の資料の不備で裁判は伸び、2010年の1月26日に再度公判がおこなわれた。
この公判でも無罪を主張。最終的には『事件の犯人と認めること』と引き換えに44年の懲役刑に服す事となる。また性的暴行などについても告発されたが、事実を認めないものの事件についての証拠の十分性を認める有罪の嘆願である『アルフォードの嘆願書』を提出している。
アルフォードの嘆願書についてはグーグル翻訳で説明を訳すると以下の通りだった。
被告は、より高い犯罪を有罪とするのに十分な証拠があることを認め、同時に有罪をより少ない容疑で訴えることにより、Alfordの有罪の嘆願を使用する能力を利用できます。被告は通常、裁判で訴訟を失った場合に起こりうる最悪の判決を避けたい場合、アルフォードの有罪判決に入る。これにより、無罪を維持しながら、司法取引を受け入れる能力が被告に与えられます
早い話が被告人に有利に働く司法取引のようなものらしい。
最終的にレイモンドクラークはアニーを亡き者にした罪で44年の懲役を受け、暴行事件の方でも20年の懲役となる。
まとめ
アニーに起きた悲劇的な事件について調べてみました。この事件、アニーが優秀であり、将来成功する人物であった可能性が高かった為か、非常にメディアが加熱して問題視された事件でもあります。
何にせよ、はっきりしない動機など謎が多く残った事件でした。将来有望な若者がこの様にこの世を去るのは非常に心残りだろうと思いますね。以上です。