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こんちは!ニッチマンです

 

UFOって信じますか?宇宙人はともかく、ニッチマンはUFOはいると思います。未確認飛行物体なんで何処ぞの国の秘密兵器とかね。

 

さて、昭和の時代に大きく新聞で騒がれたUFO事件が存在します。日本航空が所持する貨物ジャンボが50分もの時間にわたりUFOに追い回されたとするこの事件。

 

当時はかなり騒がれ、その後当事者の機長はパイロットを辞めてしまったそうです。一体彼の身に何があったのか?

1986年日航ジャンボJAL1628UFO事件

1986年の11月17日、日本航空所属の貨物用ジャンボジェット機JAL1628便がアメリカアラスカ上空にてUFOと遭遇した事件。

 

この事件の面白い所はなんと積荷がボジョレーヌーボーだったというのだから、ものすごく季節がマッチしている。さて話を戻すと、該当の機はパリからアメリカに向けて、アンカレッジを経由してボジョレーヌーボーを輸送すべくアラスカ上空を高度1万m付近を時速900kmで飛行していた。

 

アンカレッジの管制塔と通信をした後にUFOに遭遇。JAL1628便の前方にUFOを発見する。その後、該当機は回避行動を起こして逃れようとしたが、50分にわたり追い回される事となる。

 

50分後、ユナイテッド航空所属の航空機と行き違った際にUFOは今度はユナイテッド航空機をターゲットにしたのか、そちらを追尾し始めた。ユナイテッド航空機がアラスカ二着陸する頃にはすでにUFOの姿は消えていた。

寺内謙寿機長の手記

UFOの姿については機長と副機長、航空機関士の3人で証言が異なる。機長のみ母艦級のサイズのUFOを目撃しており、副機長らは『光っている物体は見た』と証言している。

 

ココでは後述するが2018年にネットで発表された機長の手記を元に記していく。

 

JAL1628便からみて左前方30度の範囲で距離にして2~3マイル下方へ約600mの位置に発行体が出現した。

 

この光体は最初は軍などの機体ではないかとおもい気にしていなかったがしばらく経ってもその位置が変わらず、自機を追従している用に感じた。

 

その為、アラスカアンカレッジに連絡を取り、同機の近くに飛行する航空機はあるかを問い合わせた。しかし該当する機体は存在しなかった。そこで折返し目視にて確認できている旨をアンカレッジに伝えると地上のレーダーはもちろん、軍関係で作戦行動に出ている機体はないとの返答があった。

 

次に、今度はアンカレッジセンター側からこの付近に観測できる雲はないか?と聞いたところ下層域でまばらに雲はあるものの、JAL1628便が飛行してる空域では雲もなく快適な環境であった事を報告した。

 

この質問は雲にレーザー光線があたり、それらしい動きを見せているのではないか?という推察であったが、予測は外れていた。

 

そのまま、2つの光点は通常の航空機とは異なる不規則な動きをみせつつも攻撃をしてくるわけではないので通常通りのコースを飛行していた。

 

しかし7分程すると突然目の前に出現。激しい光をコクピットに向けて放った。3秒から7秒くらい噴射したあと、翌見ると多数の噴射口がみてとれた。

 

その後、3分~5分ほど、同じ位置(距離感)で飛行を続けたあと左40度程の位置へと移動していった。この急接近時に通信設備の不調がでていたが、距離が離れた後は元に戻った。

 

再びアンカレッジセンターに自機の左前方になにか物体はないか?とレーダーでみてもらうがやはりなにもないとの返答。そこで機上レーダーを照射するとその位置には緑色のポイントが出現した。

 

通常、航空機を示すのは赤いポイントである。

 

その後、光点はJAL1628の後方へと移動して追尾していくことになる。そしてフェアバンクス市上空に近づいてくるとその明かりに照らされ更に巨大な宇宙船が出現した。

 

流石に恐怖を感じ、回避行動に出る為にアンカレッジセンターに進路変更を打診。するとセンターからは360度旋回を提案される。

 

しかし変わらぬ位置で追従してくるので今度は高度変更を要請。そうこうしている内に機体の燃料はどんどん減り、アンカレッジへの着陸を要請する。

 

アンカレッジセンターからは軍用機のスクランブル発信をUFO確認の為に提案されたが、機長はこれを拒否した。

 

同時刻にべつのJALの旅客機がこの近くを飛行していた。そこでアンカレッジセンターはその旅客機にJAL1628便の様子を上空から見るように要請した。

 

べつのJAL便はJAL1628便を目視できる範囲にきたとたん、UFOは消えてしまった。

 

この中で、母艦級のUFOは機長のみ見たという。UFOはまるで土鍋を2つ重ねたどらやきの様な形で両端に淡白色のライトがあり、そのライトの大きさ自体もJAL1628の1.5倍~2倍の大きさで、全体の大きさはジャンボの7倍はあると思われる。

UFOの姿形

機長の手記によれば最初二出現した2つの発行体は長方形でヘアクリップのような形。真ん中は空いており光の帯として見える。無数の噴出孔があり、どの様に動こうとも同じ様に見える。

 

母線級のUFOは土鍋を重ねた様な形。非常に大きく両端にライトがある。このライトの部分だけでもJAL1628便の1・5~2倍はあった。また、こちらのライトもどの角度からみても見えるライトの角度がおんなじであった。

 

この事から、同じ面を見せて移動させている可能性も考えられる。

ジョンキャラハンの証言

この事件について必ずでてくるのが2001年のジョン・キャラハンの証言。NASAや軍などの政府関係者等でなる『ディスクロジャープロジェクト』つまりUFOや宇宙人などの情報公開活動をするプロジェクトにおいてこの事件の証言がなされた。

 

その内容はレーダーに映っていなかったとされる『UFO』の機影はレーダーに映っておりFAAによってその記録を取っていた。というもの。その後録音やレーダーのデータを元に再現を行った後、FBIを始め、CIAなどの科学チームによる会議が秘密裏に行われたらしいが、この時の記録はCIAによって持ち去られたがFAAには原本が残っており2001年に公開されたのがそのデーターとのことらしい。

2018年日航ジャンポUFO遭遇事件のアメリカ公文書をサイト『The Black Vault』が公開

そんな中、つい2年前にJohn Greenewald, Jr.という人物が『The Black Vault』というサイトでアメリカの公文書を公開した。これはFAA(アメリカ連邦航空局)に情報公開法に基づいてこのサイトの運営者が公開請求をしたもの。

 

彼は16歳からこの手の話をずっと調査してるらしく、Amazonでも書籍を出版していたりする。その中に機長の手記も存在している他、1400P~1500Pに及ぶ資料のデーターがあるので興味がある人は覗いて見て欲しい。

原因解釈と機長寺内謙寿のその後と現在

この一連の事件に関しては当時『惑星』のみ間違えではないか?と言うことでメディアにも報じられた。機長のみが母艦級のUFOを見たと証言しており、機関士や副機長は見ていないなど、機長の寺内謙寿氏に対する世間の風当たりは強い物となっていった。寺内機長の酩酊状態でなかったか?

 

また、空気中の氷の結晶が起こす『光柱現象』の可能性も示唆されている。

 

後に寺内氏は地上勤務を命じられ、コクピットから降りる事になる。詳しい事はわからないが、これは十分に左遷を受けたと思われる人事。しかしその後は復帰している。これはメディアなどの報道の影響もあり、ある意味禊としての地上勤務だったのでは?と個人的には思う。

 

現在機長の寺内氏はすでに退職しており現在は何処で何をされているのかは不明。

まとめ

昭和の時代におきたお話なんですけど、この時代のこの手のお話って今より断然真実味が増すんですよね。ソ連とアメリカの冷戦の流れで両者UFOとか宇宙開発にやっきになってた時期なんでなんでもあり。

 

子供向けの本でもやれナチスがUFO開発してたとかフツーにありましたから。今回の場合、事の真相はもはや闇のなか。形式的にはもう終わってる事件とも言えます。

 

寺内氏がUFOを見た!と言う部分でかつてはマスコミにあまり言葉を発する事ができなかったようですが2001年の話で『なにかしら』いたという証明にかなり強い一撃を加えたのでは?と思います。

 

もっともそのデーターや情報が捏造でない保障もまたしないとダメという堂々巡りになりそうですが。。。以上です!