
こんにちは、ニッチマンです。
ロシア上空で飛行機が故障!近くに空港はなく燃料も残りわずか!絶体絶命かと思われた状況で操縦士の目にあるモノが飛び込んできた!それは滑走路!地図にも記載がなく、整備もされていた!それにより乗客乗員、81名の命が救われ操縦士は英雄となった。しかし、なぜこつぜんと滑走路が現れたのか?そこにはもう一人の英雄の存在が!
という内容でアンビリバボーで紹介される事故があるようですね。調べてみたところ、どうやら、
アルロサ航空514便の緊急着陸した事件のようです。どういった事件だったのか?ちょっと調べ
てみましょう
アルロサ航空514便不時着事故とは?
2010年の9月7日にロシアのヤクーチアからモスクワに向かう飛行機、アルロサ航空514便
に起きた事件。航空機の電気系統が故障し、通信機器が使用不能となり、通常の飛行コースを大幅
はずれてしまい、本来は地図に載っていないはずの滑走路に緊急着陸した事故。
どういう状況だったのか?少し詳しく見ていきます。
アルロサ航空514便の当時の状況は?原因は?
飛行機は通信機器が使用不能となり、本来のコースを逸脱。残る所30分しか飛行不可能だったそうです。
ナビゲーションシステムは沈黙、主翼のフラップも停止する非常に重大な事態に見舞われていまし
た。最終的は燃料供給すら不能となってしまいます。原因としては機体内のバッテリーの事故発熱
による熱暴走を起こし、これが航行無線などを含む電気系統に影響したと報告されています。
機長は高度を下げ、何処か不時着できないか?と場所を探していると、雲の隙間から地図にはない
はずの滑走路が見えたそうです。すかさず舵を切り緊急着陸、不時着と言ってもいいかもしれませ
ん、どうにか乗員9名乗客72名は全員無事。。中には現地でキノコ狩りをしたつわものもいたと
いう話もあります。。ほんまかいな?
ロシアの地図にない滑走路の正体は?
アルロサ航空514便が不時着した滑走路はいったい何なのでしょうか?実はこの滑走路は当時
既には遺棄されてから12年もの歳月がたつロシア連邦コミ共和国の『イジマ空港』の滑走路。
イジマ空港は近隣のイジマ村にある民間の空港だったそうです。政府からの援助もなく、資金難
に陥り、事故のあった12年前には飛行機の滑走路は閉鎖。ヘリポートのみ使用していました。
ヘリコプターは飛行機のように離着陸に長い滑走路は必要なく、当然手入れもされてなくて当たり
前なのですが、なぜか12年もの間滑走路に倒木やごみなどがないか目を光らせていた人物が。。
それがアンビリバボーでも紹介される『もう一人の英雄』セルゲイ・ソトニコフ
詳しくはこちらの記事をごらんください。
では話をアルロサ航空514便の不時着事故にもどします。
アルロサ航空514便の不時着時の様子は?
滑走路はあり、そのコンディションはセルゲイの尽力のおかげで良好でした。しかしながら致命的
に足りないものもあったのです。それは着陸までの滑走路の長さ。
民間の小さい空港であるイジマ空港の滑走路は短く僅か1.3kmしかありませんでした。アルロ
サ航空514便の機体、Tu-154型機に必要な滑走路の長さは2km。その為、機体は大きくオ
―バーランをして森林に突っ込みながらも停止します。
メインフラップが動かず、フェンダーによるエアブレーキがかかっていなかった為、非常に速い速
度での着陸となり、タイヤのゴムは燃え、飛行機は森の中へ侵入しているのが解ります。
その際、報告書には『滑走路は12年間残骸がない事を確認していたヘリポートチーフによって良
好な状態を維持していた。着陸が成功したおおきな要因である』と報告されています。
ロシア語解りませんが、イメージCGなどで再現した映像があるので是非ご覧ください。
事故後の機体はどうなったのか?調べてみました。
アルロサ航空514便不時着事故の機体のその後は?
アルロサ航空514便はなんとこの後、現地で最低限の修理を行い飛び立っています。
当初はこのままスクラップ行きになる予定だったそうなのですが結局のところ修理され、アルロサ
航空へ2011年の6月16日付けで返還されています。
イジマからウフタという都市へ移動した後にサマラという街で完全に修理され現役復帰したという
ことです。
しかしあんな事故あった機体を良く現地で修理できましたね。。技術者の技術力に脱帽です。
まとめ
アンビリバボーで紹介のロシアの地図にない滑走路に不時着した飛行機事故は『アルロサ航空514
便不時着事故』。乗員・乗客81名すべて無事で機体も現地で最低限修理され飛び立っている。
謎の滑走路の正体は事故の12年前に閉鎖されたロシア連邦コミ共和国内のイジマ空港の滑走路。
同空港のヘリポートチーフのセルゲイ・ソトニコフの手により整備されていた。
以上最後までご覧いただきありがとうございます!
なぜ整備されていたのか?やセルゲイ・ソトニコフについてはこちらの記事をどうぞ!