
こんちはニッチマンです。
世界が騒然!本当にあった(秘)衝撃ファイルで38年ぶりに解決したコールドケース(未解決事件)の話が放送されますね。最近の科学の進歩はめざましく、数年でものすごい飛躍を遂げます。今回も事件解決の決め手になったのはDNA検査の精度が昔より飛躍的に上がった事が大きく、もうしばらくすると解決できない犯罪はげきげんするのではないでしょうか?さて、今回の事件、ヤフーテレビ欄の予告では以下の様な内容で放送されることがわかっています。
アメリカ・アイオワ州で暮らしていた17歳の少女がある日突然失踪し、人里離れた小屋で遺体で発見された。警察の捜査で浮上する5人の容疑者。だが、決定的な証拠を掴めず、未解決のまま時間だけが流れていく…。そして事件から38年もの月日が流れた2012年。遂に決定的な証拠を発見!犯人は誰なのか?
今回はこの事件について、海外のメディアなどから情報を集めてしらべてみました。
アメリカアイオワ州メアリー・ジェイン・ジョーンズ殺害事件
アイオワ州オッタムワのメアリー・ジェイン・ジョーンズさん当時17歳が、1974年4月9日(火)にアイオワ州ブレイクバーグ近くの農家で殺害されているのが発見された。彼女は性的暴行を受け、ライフル銃で頭と胸部を撃ち抜かれ死亡。彼女の死亡が確認されたのは4月9日午後5時過ぎ、農場関係者のアーネスト・マーリンからワペロ郡保安官事務所へ電話がありました。マーリンは妻がオッタムワの西約7マイルの農家で遺体を発見したと言っていました。
その農場はマーリンの息子マックス・マーリンが所有しとなっており当時のワペロ郡検事サム・エルハート氏によると、マーリンの息子は殺害時に「休暇で西に出かけていた」という。エルハート氏は、マーリン夫妻は殺害の前に「2、3泊」家に滞在していたが、殺害時には誰も家に滞在していなかったと考えていると述べている。証拠物として家の中から数丁の銃が発見されたが、それらが凶器かどうか当時の警察では確定には至らなかった。
この事件の捜査を担当するした犯罪捜査局(BCI)のウェイン・シェストン捜査官は、メアリーの死因は複数の銃創と述べた。ワペロ郡の検死官ウォーレン・デクレイ博士は メアリーの検死をした。デクレイ博士によると、メアリー「頭部に1回、心臓に1回、かなり近い距離からライフルで撃たれた」とされ、それ殴打などの痕跡はなく、争った形跡もなかった。
BCIの犯罪研究所と地元の法執行機関は 犯罪現場の徹底的な調査を行い 証拠価値のあるものをいくつか採集しワペロ郡保安官事務所に保管した。保安官事務所は、メアリーが死ぬ前の日に彼女を見た可能性のある人物を見つけるために、多数の人々から事情聴取を行い、メアリーの写真を配布しました。その週の終わりまでに、少なくとも1人の容疑者がBCIによる嘘発見器テストを受けていたが、当局はジョーンズの殺人を告発するのに十分な証拠を集めることができなかった。
メアリーの最後の目撃情報
捜査の末、メアリーが最後に目撃されたのは4月9日(火)午前11時45分頃で、オッタムワのユニオンバンクアンドトラスト社であったと推測された。彼女は過去9ヶ月間オッタムワのHenry's Drive-inレストランで働いていたが、職場のレストランによるとメアリーは体調不良の為、前週の金曜日から出勤していなかった。メアリーは、9ヶ月前にノースカロライナ州からアイオワ州に来ていました。妹が11月に赤ちゃんが産まれるのでアイオワ州で出産の準備をしており、彼女はその手伝いをしにアイオワ州に来ていた。妹はノースカロライナへとその後戻ったが、メアリーはそのまま戻らずに彼氏など新しい仲間のいるアイオワに残った。
メアリー・ジェイン・ジョーンズの人柄
メアリーは外交的で明るく活発な女の子で友達からも「スーパーガール」と称される程、気立てのいい女の子でした。彼女は2階建てのアパートの一室を借りて住んでおり、家主に対しても礼儀正しく素晴らしい女の子だったとコメントが残されている。そのアパートで彼女はルームシェアをしており、リン・ガイエットという女性でその弟のバーノン・ガイエットとも交友がった。この男性はこの事件とは無関係であったとされている。
メアリー殺害事件の5人の容疑者
警察の捜査で浮上する5人の容疑者。。。。と言う内容で今回衝撃ファイルで予告されていたのだが、海外メディアで報じられている内容では2名の容疑者の名前しか見当たりませんでした。漏れがあるとはおもいますが上記の牧場主の「マックス・マーリン」と後述する犯人である「ロバート・ユージン・ピルチャー」の2名です。予告ではあと「ジェニー」と言う人物が名前が上がっていたのですが残りの2名についてはわかりませんでした。
マックスが疑われたのは当然死体発見現場であること、そしてロバートについては後述しますがメアリーにつきまとっていた、そして牧場の地理に詳しかった事の2点が挙げられた。
メアリー殺害事件の犯人はロバート・ユージン・ピルチャー
結論から言えば犯人はロバート・ユージン・ピルチャーと言う人物だった。彼はメアリーが働いていたレストランの常連で、ウェイトレスに色目を使いちょっかいを掛けている事でも有名だったらしい。メアリーをしつこく誘いその度に袖にされていたらしかった。ロバートはメアリーをどうにか牧場に誘い出し、そこで性交渉を強要したがおそらく抵抗されたか、行為をバラされると言われた為殺害されたと見られる。
ロバートはマックスのいとこに当たる人物で、農場へは度々女性を連れていっている事を周囲からはしられていた。実際にメアリーが殺害される4日前にオッタムア(地名)のトムトムタップと言う場所でロマ・シャーリン・ウォーターハウスというバーテンダーを連れ込み猥褻な事をした罪で逮捕された(後に有罪判決は覆されたらしいが・・・・示談成立?)
時は流れ2012年11月13日(火)、アイオワ州犯罪捜査局(DCI)の捜査官とワペロ郡保安官代理が、1974年メアリー未解決殺人事件に関連して、アイオワ州デモインのロバート・ユージン・ピルチャー(66歳)を逮捕した。DCI捜査官によると、ロバートはデモインのA-1モーテルで逮捕されたが、数年前にこの事件で尋問を受け、釈放されたという。彼はメアリーに性的暴行を加えて彼女の頭と胸を撃ってから、彼女の遺体をワペロ郡のいとこの農場(マックスの牧場)へと運んだと彼は第一級殺人罪で起訴された。
ロバート逮捕はDNA捜査の進捗
ロバートは 1974年以来 他にも多くの犯罪を犯しており DNAサンプルも採取されていたが新しいDNA技術がついにロバートのメアリー殺害についての証拠を掴むことに成功する。 2009年から2011年まで 連邦政府の助成金を受けて活動していた DCIのコールドケース・ユニットがその手助けをした。
コールド・ケース・ユニットは、殺人事件当時にはなかった分析技術を用いた追加のDNA検査のために、犯罪現場とメアリーの遺体から採取したアイテムをDCI犯罪研究所に再提出した。再提出された証拠品からDNAプロファイルが作成され、CODIS(Combined DNA Index System)に入力された。CODISデータベースは、有罪判決を受けた犯罪者、未解決の犯罪現場証拠、行方不明者のDNAプロファイルを検索を可能にする。この検索の結果、証拠から得られたDNAプロファイルは、既知の犯罪者であるロバート・ユージン・ピルチャーのものと一致した。
ロバートは逮捕され、ワペロ郡の拘置所に連れて行かれ、100万ドルの保釈金で初出廷まで拘留された。
ロバート・ユージン・ピルチャーの裁判と現在
2013年6月17日(月)に開催された公判前会議では、当時67歳だったピルチャーの裁判が2013年10月15日にワペロ郡裁判所で開始されることが決定された。2013年9月、ワペロ郡の判事は裁判の開始日を2014年1月14日に延期した。ロバートの裁判は2014年1月14日に開始され、2014年1月30日にリチャード・メドウズ判事は陪審員が評決に達しなかったと述べた後、無効審理を宣言した。
検察官は、2012年11月に逮捕されて以来、ワペロ郡刑務所に拘留されていたロバートを再審すると述べた。無効審理を認めた後、メドウズ判事は3月25日に第二審理を予定していたが、検察官が第二審理の会場変更を裁判官に求めた後、それは延期された。リチャード・メドウズ判事は2014年4月8日(火)にこの要請を否決し、2014年9月9日(火)からの新公判を予定していた。陪審員選考は予定通り9月9日に開始された。証言は9月11日(木)から始まった。
ロバートは罪を認め、司法取引に応じる
9月16日火曜日、68歳のロバートはメアリー殺害の第二級殺人罪を認めた。司法取引では、双方が10年の刑期を希望、結果ロバートは模範囚であるならわずか5年で刑務所から出てくる可能性も示唆されている。
現在、既に5年の月日は経っているがロバートが出所したという話は見当たらない。この事からおそらく釈放はまだと思われるが衝撃ファイルで新たな展開がわかるかもしれない。
まとめ
メアリー・ジョーンズの殺害事件について調べてみました。38年間コールドケースとして未解決だった事件ですが、DNA捜査の精度の向上など、犯人逮捕につながる証拠物件を上げる事が昔より可能になってきた為に逮捕できる事が増えてきました。ただし、これらはあくまでも【逮捕につながる証拠】の裏付けに使用されており、多くは既に収監されている逮捕者の余罪として浮かび上がるパターンが圧倒的に多いです。
もちろん、罪を償うこと無くのうのうと彼らを裁きなくおくよりは良いのですが、その当時に今の技術があればもっと早く逮捕できたと思うと、被害者遺族もやるせない気持ちになるかもしれません。今回のメアリーさんも友人や家族に愛された素晴らしい人物であり、妹さんは彼女の死と犯人逮捕について思いの丈を述べています。
『ジェイン(メアリー)について何と言えばいいのか・・・彼女は素晴らしい人でした。いつも笑顔で幸せで、エネルギーと人生に満ち溢れていました。彼女は強い家族の信念を持っていて、いつも誰かを助けるためにそこにいました。茶色い瞳にはお茶目な輝きがあり、彼女はたくさん笑っていました。ジェイン(メアリー)が大人になった時、何をしたかったのかは定かではありません。人助けの仕事をしている姿が頭に浮かびました。彼女が殺された17歳の時、彼女がどの分野に進むか決めていたかどうかは定かではありません。私たち家族は38年間も悲しんできた。それは変わらないし、消えることもない。彼女を無慈悲にも奪われて以来、私たちは毎日彼女を恋しく思っています。当時オッタムワに住んでいた姉のジャックには3人の男の子がいます。私には娘がいましたが、ジェインを偲んで娘の名前をマリヘインと名付けました。ロバート・ピルチャーが司法取引をするにしても、裁判をするにしても、私たちはアイオワに来るつもりです。姉と私は判決の際に被害者の意見を述べるつもりです。裁判官と陪審員に理解してもらいたいのです。ジェインは家族や友人のいない捨て身の人間ではありませんでした。ピルチャーがいつか捕まるようにと祈ってきましたが、私の祈りはついに叶いました。"これは私たちの始まりであり、うまくいけば彼女の精神が安らかに眠ることを願っています。』
メアリーの死と偲ぶとともに彼女が如何に家族に愛されていたのかがわかる文章です。文末の通り、メアリーさんの冥福をお祈りします。以上です。