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ミシェル・マーティンコ事件39年越し女子高生殺人がDNA分析捜査で解決!犯人のジェリーの現在は?
Michelle Marie Martinko (Courtesy Robert Riley)
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こんちはニッチマンです。

 

DNA分析サイトを駆使したDNA捜査! 全米史上最悪の美人女子高生殺人事件が39年越しに解決!その裏に隠された衝撃の逮捕劇!との見出しでありえへん世界で放送されるようですね。

 

この事件についてちょっと調べてみました。39年もの間、迷宮入りと思われてきた事件がちょっとしたきっかけて解決に向かう。科学技術の進歩と犯罪者を許さない心が成し遂げた偉業と感じますね。

 

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1979年アメリカアイオワ州シダーラピッズで起きた美人女子高生殺害事件

39年間迷宮入りしていたこの事件は1979年にアメリカのアイオワ州シダーラピッズという町でおこりました。当時18歳だった女子高生のミシェルは12月19日に家族とショッピングモールへ買い物に行った際に車の中で刺殺されているのが発見されます。

 

事件当時、200件以上の情報提供があったにもかかわらず、事件は迷宮入りとなります。その後、DNA捜査の末に39年ぶりにジェリー・リン・バーンズが犯人として逮捕されます。

被害者ミシェル・マーティンコと犯人のジュリー・リン・バーンズ

ミシェル・マリー・マーティンコ(Michelle Marie Martinko)

 

ミシェル・マリー・マーティンコは1961年10月6日 にアイオワ州シダーラピッズ生まれます。ミシェルの父はアルバート・F・マルティンコ(Albert F. Martinko)と母のジャネット・マルティンコ(Janet Martinko)(旧姓Zillig)に生まれ、二人姉妹の妹だった。

 

彼女はシーダーラピッズ・ケネディ高校に通っていた真面目な生徒で学校関係者からの覚えのよかった優等生だった。また、2年生の時にはバトントワリング部に所属し、合唱団や演劇作品にも出演していた。 一方で彼女には親友と言える友達は多くいなかったとされる。それは彼女の外見の美しさやオシャレさが目に付き嫉妬の対象になったことや、当時の恋人との確執があったのでは?と噂された。 殺害された時には高校3年生だったミシェルは、アイオワ州立大学でインテリアデザインを学ぶ予定だった。

ジェリー・リン・バーンズ(Jerry Lynn Burns)

ジェリー・リン・バーンズは1953年生まれ。事件当時は25歳だった。アイオワ州マンチェスターで育ち、1972年にウェスト・デラウェア高校を卒業。

 

2020年の逮捕時にはマンチェスターに住んでおり、同市内で粉体塗装業を営んでいた。それ以前はジョンディアに勤務し、トラックストップを共同経営していた。

 

ジェリーは2008年に妻を自殺でなくしている。

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犯行と発見場所

1979年の12月19日、ミシェルは地元のシェラトン・インというホテルで開かれたケネディコンサート合唱団の宴会に出席していました。その時の格好は黒のジャージドレスに黒のスカーフ、黒のタイツとヒールに腰丈の白と茶色のラビットファーでシックなコーディネイトでした。

 

イベント終了後、トワリング部の友人にショッピングモール(ミシェルのアルバイト先でもあった)に買い物に行かないか?と誘ったが友人はこれを断る。しかたなくミシェルは冬用のコートを買うために一人でショッピングモールへ向かった。

 

自分のバイト先で談笑をしながら店を周った。彼女が生きた状態で最後に目撃されたのは午後の8時~9時で宝石店の前だったそうだ。

 

その後、連絡がなく、次に彼女が発見されたのは警察が午前4時にモールの駐車場の北東に角にあるJ,Cペニーの側でマルティンコ家の車を発見

 

中には変わり果てた姿のミシェルの姿があった。

 

 

ミッシェルは29箇所の傷を負っていた。さらには防御痕も有り、激しく抵抗した事が伺える。車の外に血痕がないことから、犯人は車内で犯行に及んだとみられた。

死亡推定時刻は夜の8時~10時と推定された。

 

また、彼女の財布からはお金が奪われることもなく、衣服の乱れもなかった事から金銭や性的暴行目当てではないと当時は判断されていた。

警察は刺された傷の数や場所などから「個人的な怨恨」の可能性が高いと考えた。

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一回目の捜査

現場に残された証拠が少なく、警察は一般市民に目撃情報などを呼びかけた。その後200件以上の情報提供があり、多数の事情聴取を行い、可能性のあるものへはポリグラフ検査(嘘発見器)にかけたが犯人は現れなかった。

 

しまいには数々の噂が流れた。ミシェルは以前から嫌がらせの電話を受けていたであるとか、ミシェルのあとにもう一軒別の刺殺事件が起きていて警察がそれを隠しているなどの噂もあった。

 

ひと月後に別件で起きた強姦事件があり、この犯人がミシェル殺害の第一容疑者とみられたがDNA鑑定の結果犯人ではなかった。この他にもモールで娘が働いている女性が駐車場でミシェルと男が車の近くで話しているのを目撃した情報などもあった。

 

1980年6月に入ると警察は二人の目撃者に催眠術をかけて記憶を掘り起こし犯人のモンタージュを作成。10代後半から20代前半の白人男性で慎重が6フィート(180センチ)体重が165ポンド程度、茶色の目と茶色の巻毛の男が描かれた。

 

1980年には警察が取り調べた人数は数百人に達し、催眠を使った捜査も30人に及んだが成果は出ず。犯人逮捕につながる情報提供者には1万ドルの報奨金も用意されていた。

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DNA捜査

ミシェルの殺害から27年後、事件に進歩が起きる。シダーラピッズ警察の新人の未解決事件担当の警察官がこの事件のファイルをうけとり精査していた。

 

その際、犯人の血液と思われる物の存在をファイルから発見。これにより警察はDNAプロファイルを作成することに成功する。

 

国のDNAデータベースであるCODISに入力したものの、一致する人物は特定できなかった。

 

 

125人以上のDNAを綿棒で採取し、現場から採取したサンプルと比較した。その中には長年の捜査で浮かび上がった80名の容疑者が含まれていたが、該当する人物はいなかった。

 

更に時が流れ2017年にDNA捜査鑑定を専門とする会社がサンプルから顔の外見と先祖に関するDNAを手がかりに犯人の画像を作り出した。その画像は1980年のモンタージュとはかなりかけ離れたものだった。

 

この男が加齢した時の顔の変化もシミュレートし作成。その画像を公開した所、ミシェルの同級生の一人が「顔が同級生似ている」といったが、彼は全く関係がなかった。

このDNAモンタージュ公開後は100件以上の情報提供があった。

 

2018年にDNA表現型鑑定会社は前年に作成したデータをGEDmatchに入力。すると一人の人物が浮き上がった。その人物のDNAパターンは犯人のいとこレベルの近似値でありそこからその人物の家系図を作成。

 

その中から犯人の可能性の高い系統を絞り、結果として最終的にはアイオワ州マンチェスターで育った3人の兄弟が容疑者であることを突き詰めた。

 

2018年10月29日、捜査員の一人が3兄弟の一人であるジェリー・リン・バーンズがプラスチック製のストローを使ってソーダを飲むのを確認。

 

捜査員はジェリーが廃棄したストローを回収しDNAを採取・検査を行った。

 

2018年12月19日、ジェリーの会社に捜査員が訪れ、事情聴取を行った。ジェリーにDNAサンプルの採取を依頼するがこれを拒否。

 

しかし捜査令状を持ってい為、強制的に提出させた。また、彼の手足に犯行時に抵抗された時にできた傷がないかも調べられた。

 

 

その後のDNAの検査の結果、ジェリーと犯行現場に残された血液のDNAが一致。逮捕される。奇しくもミシェル殺害からちょうど39年後の2018年12月19日のことだった。