
こんちは!ニッチマンです。
爆報フライデーで驚きの事実が
語られました!
仲村遥香さんの家族構成などについて
今までネットなどででていた情報は
真実ではなかったのです。
その中でもなかなかすごい過去だなぁ
とおもった幼少期の極貧生活時代の事を
主にまとめてみました。
仲川遥香の極貧生活の食事や家は?借金で児童養護施設で育った?
まず、仲村遥香の両親についてですが、
父親は無名のプロレスラー、母親は専業主婦
との事です。
しかし、父親と母親はネットの情報通り
仲村さんが幼い頃に離婚。
やがて父親も自身の不安定な経済状況を
理由に兄弟姉妹5人の世話を仲村さんの
祖母の陽子さんに任せて姿をくらませます。
当時55歳だった祖母の洋子さんは献身的
に兄弟の面倒を見ますが、如何せん収入が
絶対的に足りません。その為、様々な所で
極貧生活をしていたようです。
仲川遥香の極貧生活の食事は主食はなめたけ
中村さんが当時主食。。というメインの
おかずにしていたのがなめたけの佃煮の
ような物です。
あの瓶に入ってるやつですね。
こういう瓶入りのものだったそうです。
画像はイメージですが、それほど高額ではない
ものです。
これを兄弟で取り合っていた。。そんな食生活
を送っていたそうです。
皆で譲り合うことも、食欲旺盛な成長期の兄弟
には不可能な事だったのでしょう。
仲川遥香さんの『お金がないってそういう事です
よね』というコメントが心に刺さりました。
仲川遥香の極貧生活 遠足のおやつは紅生姜のパック
小学生や幼稚園の頃って遠足が楽しみの一つ
だったのは、皆様も記憶にあると思います。
最近はどうなってるのかは判りませんが、
各自お金の上限を決めてメイメイで持参する
学校に仲川さんは通っていたようです。
ウキウキ気分のおやつタイムに仲川さんは
持たされた袋を開けるとそこにはコンビニ
やスーパーのお好み焼きや寿司にはいってる
ような紅生姜のパックが入っていたそうです。
祖母なりに何も持たせぬよりは・・という思い
なのだと解るのですが、すごく惨めな気分にな
ってしまったとの事。
小さい頃ならなおさらだったでしょうね。
仲川遥香の極貧生活時代の家は激安都営住宅だった
父と母が自分のもとを去り、祖母に育てられた
仲川さん。
祖母の洋子さんも決して金銭的に余裕がある
わけではなく当然衣・食・住の全てを節約し
なければなりませんでした。
それで選んだ住居が都内の都営住宅。
ざっと見ましたが確かに3万円くらいから
あるにはあるようです。
仲川さんも似たような価格の住居に6人で
住んでいたのかも知れませんね。
仲川遥香の極貧生活は祖母は消費者金融で借金をしていた。
5人の孫達を養うにはやはり自分の稼ぎ
だけでは追いつかず、消費者金融から借金を
祖母はしていたそうです。
その取り立てが来たりと小さい子供には
かなりの恐怖だったでしょうね。
そしてついにこの借金と祖母の体調不良
の2つの理由が重なった仲川さんが8歳
の時に養護施設へ入所することになります。
仲川遥香の養護施設での生活は?
仲川さんの入った養護施設は、一般的なイメージ
の大きい施設ではなく、一軒家を複数集め、それぞれ
スタッフが駐在するタイプの比較的新しい
施設だったそうです。
大体8人くらいの子供とスタッフが1グループ
となっていたそうです。
ニッチマンも仕事で何回か養護施設のボランティア
とかした事ありますが、全然ちがいましたね。
養護施設での暮らしは過去を触れないなどの
ある程度のタブーはあったものの、普通に生活
出来ていたそうです。
同じ施設に入っていた子の推薦もあって14歳
の時にAKBのオーディションを受ける事になった
エピソードも紹介されていました。
まとめ
仲川遥香は幼少期は極貧生活で兄弟姉妹と
なめたけを奪い合っていた。
住居は激安の都営住宅。
祖母は生活費の為に消費者金融に借金を
していた。
体調不良と経済的理由により施設に
入ったのが8歳の時。
その後、14歳でAKBのオーディションを
受けてアイドルになる。
とまぁ、極貧時代のお話は以上になります。
今回の放送では、お姉さんの残された子供達
について賛否分かれそうな対応でしたね。
叔母として、甥や姪を養いたい気持ちと
養護施設出身の希望になりたい気持ち。
両方大切だと思います。今でも出来ることは
されているようなので、甥っ子や姪っ子が
悪い印象持たないようにしてあげるのが重要
な気がしますね。
センシティブな話題ですけど、彼女の生き方は
現代のシンデレラストーリーなのかも知れません。
ほなまたのー^^