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こんちはニッチマンです。

宇宙開発事業が国家の威信をかけていた20世紀末の1980年代に起きた悲惨なロケット爆発事故をご存じの方は多いと思います。

 

そうです、アメリカで起きた「チャレンジャー号爆発事故」1986年1月28日に起きたこの事故は当時からものすごく話題となりました。

 

実はこの事故、予見されていた事故ともいわれています。有る一人の技術者が「チャレンジャー号」の機体に積んだロケットの欠陥を発見。

 

しかしその欠陥は見て見ぬ振りをされた為、この悲劇の事故が起きた可能性がるとされています。

 

その技術者の名は「ロジャー・ボイジョリー」

 

彼についてwikiなどがあるか?また経歴などをしらべてみました。

 

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ロジャー・ボイジョリーのwiki経歴やプロフィールは?

ロジャー・ボイジョリーのwikipedia(ウィキペディア)は日本語版は執筆されていませんが、英語版では書かれているようです。

 

今回は英語版から要点を抜き出して記して見ようと思いますが、そのまま訳した文章を載せずにまとめて行こうとおもいます。訳によって若干の誤りが発生する可能性もありますが考慮いただければと思います。

ロジャー・ボイジョリーのプロフィール
名前:ロジャー・マーク・ボイジョリー(Roger Mark Boisjoly)
生年月日:1938年4月25日
出身地:マサチューセッツ州ローウェル
国籍:アメリカ
学歴:マサチューセッツ大学ローウェル校
賞歴:AAASAward(1988年)
分野:機械工学
その他:シャトル計画システム固体燃料ブースタープロジェクトマネージャー

マサチューセッツのローウェルで、工場労働者の息子として生まれます。兄弟は3人兄弟でベルヴェデーレ近郊で育ち、高校時代はテニスなどをするスポーツマンでした。

 

成績は非常に優秀で、大学はマサチューセッツ大学ローウェル校に進学。機械工学を大学時代に学びます。就職先はマサチューセッツ州西部の中古航空機会社に就職してキャリアをスタートさせ、その後カリフォルニア州に移り住み、カリフォルニアの企業で月面モジュールの生命維持システムと月面探査機の開発に従事。

 

その後、アメリカスペースシャトルプログラムの固体ロケットブースター(SRB: solid rocket boosters )の開発メーカーであるMorton Thiokolに勤務。

 

以上がチャレンジャー号事件以前のロジャーの経歴となります。その後のチャレンジャー号の爆発事故に同対処してきたのか?

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ロジャー・ボイジョリーとOリングの欠陥、チャレンジャー号事故の真実とは?

これ以降の情報は英語版のウィキを参考にして執筆しましたが情報ソースの提示を求められている内容とのことなので、参考までにしていただけたらと思います。

 

チャレンジャー号の爆発事故は打ち上げからわずか73秒後に空中分解し、7名の宇宙飛行士全員が帰らぬ人となった宇宙開発史上もっとも有名な事故の一つです。

 

事故の概要は右固体燃料補助ロケット(SRB)の密閉用Oリングの破損が間接的な原因とされており、Oリングの破損がロケットエンジンの燃焼ガスの吹き出しを抑えることができずにロケット接続部材と外部燃料タンクに悪影響を与えた結果右側のSRB尾部接続部分が分離し外部燃料タンクの破壊に繋がり、高速時の空気抵抗に耐えかね機体は空中で分解した。

 

以上のことから、Oリングの欠陥さえわかっていればこの事故は未然に防げたのでは?と感じます。実はこのSRBのOリングの欠陥を指摘していた人物こそ、ロジャー・ボイジョリーだったのです。

 

1986年の1月28日にチャレンジャー号の打ち上げ計画が確定したことを受け、ロジャー・ボイジョリーは直ぐにチャレンジャーの飛行計画を見直す様に会社に提言しました。SRBを開発した会社のモートン・ティオコル社のマネージャーと協議の結果、NASAに今回の打ち上げの延期を提案。

 

NASAは安全を確保するために下請けの会社(今回の場合はモートン社)などにも打ち上げの際に打ち上げするか否かのサインオフすること『ノーゴー勧告』を義務付けていた。

 

今回の問題が打ち上げを延期にするレベルの問題であることを決定したモートン社はNASAに電話会議で打ち上げの延期を勧告。

 

しかしNASAの管理者はこの提案に疑問を持ち、モートン社に打ち上げ延期を撤回するように求めました。

 

 

その後、モートン社の経営陣は最終的判断を下すためにNASAに少し考える時間をくれないかと提案。経営陣は会議を開いたがこの場にはなぜかロジャーを含むエンジニア陣は会議には参加できなかったという。最終的にモートン社が出した答えは『我々のデータは決定的なものではない』というものだった。

 

その後、NASAは(チャレンジャーの打ち上げについて)異議がないかをモートン社に問い異議が聞かれなかった為にチャレンジャーの打ち上げが決行されることとなる。

 

 

このやり取りの中で、一部の人らはNASAから何かしらの圧力がかかったのではないか?と考える人がでてきた。宇宙開発事業を行ってきたNASAが大手の下請けからの不許可を覆してまで打ち上げにもっていったのはこのチャレンジャーのケースが初めてであり、再考までさせたのも初めてであった。

 

今まで機能していた『是か非か』を問う『ノーゴー勧告』に対する疑問も注目される事態となった。

 

その後、ロジャーの懸念どおり、Oリングから起きた一連の事故により尊い人命が失われる事となる。

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ロジャー・ボイジョリーのその後・現在

ロジャー・ボイジョリー氏の現在は2012年1月6日に73歳で癌が死因となり他界されています。他界までの彼のキャリアについて書いていきます。

 

 

チャレンジャーの事故を受け、時の大統領レーガン大統領は委員会を設置するように命じます。この時の事故調査委員会に証人として招集されています。

 

ロジャー・ボイジョリーはSRBのOリングの欠陥について事故の因果関係と理由を説明し、自身が退席を余儀なくされたモートン社とNASAとの会議について『顧客の脅迫に起因する非倫理的な意思決定の場』と評価しその結果打ち上げを推奨する結果になったと証言した。

 

この証言のあと、会社の同僚や管理職から敬遠されていたと言われている。しかし、事故以前から、また事故後も一貫した彼の正直さと誠実さは評価され1988年にアメリカ科学振興教会からthe American Association for the Advancement of Science(科学的自由と責任の為の賞)を受賞している。

 

ロジャー・ボイジョリーはモートン・チオコル社を退職する時に今まで書き溜めていたメモなどを14箱分を持ち出し、これを2010年5月13日にこの内6箱分をカリフォルニアのオレンジにあるチャップマン大学に寄贈。(極限ミステリーではこの資料は会社の事実隠蔽を防ぐために退職前に家に送ったということになっていました。)

 

これらは同事故の重要な資料として目録化されて保管される予定とのこと。退職後のキャリアは法医学エンジニアリング社を設立し講演会なども開いていた。

 

あとがき

以上でロジャー・ボイジョリー氏に関する事となりますが、どうでしょうか?調べた事がすべて真実かどうかはわからないのですが、組織に握りつぶされるという事の恐ろしさと個人のちからの無さが浮き彫りになった様に感じました。

 

明らかに欠陥を指摘しても強硬しなければいけないなにか・・・1980年代といえばソビエト連邦との冷たい戦争にてどうしても宇宙事業で一歩先を行きたいアメリカの姿勢が見え隠れしてるようにも感じますね。

 

ワールド極限ミステリーも見ていましたがかなり番組の内容とは異なっていました。番組ではモートン社がNASAに正しい情報を直前まで与えず、ギリギリの段階でOリングの欠陥を知らせたというふうに映像化されていました。参考にした英語版のウィキの情報とワールド極限ミステリーの情報どちらが正しいかはわかりませんが、上層部の思惑で人命が軽視されたのと感じざるを得ない事件と思います。

 

7人の宇宙飛行士のご冥福をお祈りします。以上です!