こんにちは、ニッチマンです。ロシアで起こった、『謎の滑走路によって救われた航空機の事故』
の話をご存知でしょうか?奇跡体験アンビリバボーでも紹介されるこの航空機事故。
『アルロサ航空514便緊急着陸事故』では勿論、機長の英断によって81名の命が救われました
しかしこの奇跡には影の立役者がいたのを知っている日本人はほとんどいないかもしれません。
今回はその影の立役者、『セルゲイ・ソトニコフ』について調べてみようと思います。
アルロサ航空514便金空着陸事故とは?
この事故は2010年の9月7日に起きた、アルロサ航空に所属するTu-154型機が飛行中に
電気系統の致命的なトラブルによって、コミ共和国イジマにある閉鎖された地図にも記載のない
空港の滑走路に不時着した事故。乗員・乗客81名は全員無事に地上に降りる事に成功した奇跡
ともいえる事故。
通常なら閉鎖された滑走路は草木も生え、荒れ地となっており、とても81名が乗れるサイズの
航空機の発着には使用できない状態になるはずなのですが、この事故当時、なぜか閉鎖されてい
たにもかかわらず、滑走路はきれいに整備されていたのです。
その整備をしていた人物こそ『セルゲイソトニコフ』氏。彼はどういう人物で何故閉鎖された空
港の整備をしていたのか?見ていきましょう。
セルゲイ・ソトニコフのプロフィールはや経歴は?

生年月日:1958年2月5日
年齢:61歳
出身地:ロシア・クラスニー・クルーチ、ヌリマノフスキー地区
彼はイェゴリエフスキー航空専門学校で、航空機の整備技術を学び、1978年に卒業。その後
ロシア連邦コミ共和国のペチョラという町で燃料や潤滑油を管理する技術責任者として働いてい
ました。そして近隣の村のイジマのヘリポートの管理責任者になります。
イジマの空港は民間の空港で、おそらくは資金難により閉鎖。航空機の離着陸をすることはなく
ヘリポートのみの運用となっていました。以後12年間、滑走路の整備をしていました。
セルゲイ・ソトニコフが滑走路を掃除・整備していたわけとは?
かつて、イジマ空港は近隣の住人の足として活躍していました。ロシアの国土の広さと移動手段
は日本の常識が通用しません。イジマ周辺もご多聞に漏れず、陸路・水路・空路、季節によって
変わっていくのですが、中でも便利だったのが空路だったそうです。
夏にはペチョラ沿岸の水路、冬には湿地帯が凍ってできる『冬の道』と呼ばれる冬季限定の道な
どもできるのですが、やはり空路が一番便利であり、航空機の費用は高価ですが、道路を湿地帯
を避けて通るようにインフラ整備をすると莫大な費用が掛かる為、航空機での移動も多かったそ
うです。また、当時は国から援助がでていたそうですが、閉鎖する時には既に援助は出ていませ
んでした。その為、援助が切られるとすぐに資金難に陥って閉鎖となった訳です。
そうした理由からイジマの空港で働いていたセルゲイさんは愛着も強く、地元航空の復活を望ん
でいて、その為に滑走路の手入れを怠っていなかったとの事。
いつでも飛行機が復活できるように整備していました。その夢はかなう事はなかったのですが、
そのおかげで81名の尊い命が無事大地を踏みしめる事が出来たということです。
セルゲイ・ソトニコフの現在についても見ていきましょう。
セルゲイ・ソトニコフの現在は?
彼はイジマ空港のヘリポート管理者をすくなくとも59歳の時点で退職しています。その後は彼の
妻と一緒にボランティアとして監視員や掃除人として働いているそうです。
この背景には、イジマのヘリポート自体も閉鎖せざるを得ない事になった為だそうです。電気も切
られ退職を余儀なくされたのですが、働き続ける彼をメディアが取り上げると、電力はもどされ、
ヘリポートとしての機能は回復したそうです。2018年7月まではイジマのヘリポートで働いて
いる事がわかっています。
また、セルゲイの功績による名誉ある賞はいくつも送られ、そのうちの一つは祖国功績勲章の第2
位を受賞するなどされています。また、オリンピックの聖火リレーでもその姿を見ることができま
した。
まとめ
アンビリバボーで紹介されるロシアの謎の滑走路で81名の命を救ったアルロサ航空514便事故
のもう一人の英雄は『セルゲイ・ソトニコフ』
イジマ空港のヘリポート主任で、空港の飛行機滑走路閉鎖後も航空機運用復活を夢見て整備を続け
ていた。現在もイジマのヘリポートでボランティアとして働いていると思われる。
以上最後までご覧いただきありがとうございます!