
こんちは!ニッチマンです。
アンビリバボー、久々にアンビリバボー
な内容での放送ですね。
アメリカで起きた冤罪事件。
その事件発覚となったのがある犯罪小説家
とシリアルキラーの交流でした。
このシリアルキラーこそ、その手にかけた
人数実に70名。
アメリカ史上まれに見る犯罪者だったのです。
彼の犯罪歴など、ちょっと調べてみました。
トミー・リン・セイズのプロフィールや経歴・現在
生年月日:1964年6月28日生まれ
出身地:米カリフォルニア州オークランド
没年:2014年4月3日死去(49歳)米国テキサス州ハンツビル
死因: 致死注射
二つ名:クロスカントリーキラー
犯罪歴・前科 :重窃盗罪、自動車大盗罪、悪質な傷害罪、殺人罪、公然わいせつ罪、窃盗罪(2000年9月18日)
刑事罰:死刑(2000年9月20日
犯罪を犯した時期:1980年~1999年12月31日
活動場所: アメリカ合衆国(ミズーリ州、ニューヨーク州、イリノイ州、テキサス州、ケンタッキー州)
逮捕日
2000年1月2日
ご覧の通り、既にこの世を去っています。
よって現在は『死亡』となるわけですが
その死因が薬物注射による『死刑』。
真っ当な人生を歩めなかったの者の末路
です。
しかし、彼にもそうならざるを得ない
物語があるかもしれないと更に調べて
みました。
トミー・リン・セイズの過去・経歴は?
トミーは双子としてこの世に生を受けました
が妹は生後18ヶ月で髄膜炎にてこの世を
去っています。
まもなくしてトミーは叔母の元へ送られ
そのまま叔母家の養子として迎え入れら
れそうになった所、母親の元に戻されて
います。
8才の時に、ウィリス・クラークという男が
母親と一緒に暮らし始め。彼から痴漢行為・
性的虐待を受けていることを明かしており、
この事がかれの人生に大きな影をおとしたと
考えられています。
自らも自身の犯罪は自らの追体験であると
述べています。
1978年~1999年までトミーはホーム
レスとして各地を転々とヒッチハイクや電車
などで渡り歩き、時には短期重労働者や床屋の
仕事をしていたが、様々な犯罪に手を染めるよう
になっていました。
この頃には既に酒に溺れ、薬に手をだしており
薬物所持違反などで何度も投獄されていた過去
があります。
トミー・リン・セルズの過去の犯罪歴は?
1990年にワイオミング州でトラックを盗み
16ヶ月の禁固刑。
この時に反社会的、境界線、統合失調症、
物質使用障害(重度のオピオイド、大麻、
アンフェタミン、アルコール依存)、
双極性障害、大うつ病、精神病からなる
人格障害と診断されています。
1992年にはウェストバージニア州
チャールストンで『食べ物の為に働きます』
と看板を掲げパンハンドリングをしていた。
彼の為に食べ物を分けようと家に向かった
女性の後をつけ、そのままわいせつな行為を
おこなった。強姦と傷害罪で1993年に
2年~10年の禁固刑。
服役中に双極性障害と診断されていた。
ノラ・ブライトという女性と獄中結婚。
出所後にテキサスへと渡り暮らしはじ
めるが、ノラと離婚して再びホームレス
としてアメリカを渡り歩くようになる。
トニー・リン・セルズの起こした殺人事件
最低でも22人は殺害したと言われており
アンビリバボーでは70名に登ると紹介
されていた。
最初に道を踏み外したのはトニーが15歳の
時だった。
1985年にはミズーリ州のフォーサイスの
町で親子を殺害。以下の事件への関与が確定
している。
1987年11月17日、イリノイ州でダーディーン家の4人が殺害された事件
1988年9月11日、マサチューセッツ州ローレンスでのメリッサ・トレンブレー殺害事件(1977年3月1日~1988年9月11日
1989年テキサスでの同僚殺人事件
1997年10月13日、イリノイ州ローレンスビルで10歳のジョエル・カークパトリックが殺害される。
1997年11月18日、ミズーリ州スプリングフィールド近郊でのステファニー・マハニー殺害事件(1984年6月20日 - 1997年11月18日)。
1999年4月18日、テキサス州サンアントニオで9歳のメアリー・ベアトリス・ペレス(1990年4月7日 - 1999年4月18日)が殺害され、最終的にセルズが有罪判決を受けた殺人事件。
1999年5月23日、ケンタッキー州レキシントンでヘイリー・マクホーン(Haley McHone、1985年8月14日 - 1999年5月23日)が性的暴行を受け殺害された事件。
1999年12月31日、ケイリーン・ジョー・"ケイティ"・ハリス(1986年9月27日 - 1999年12月31日)の性的暴行と殺人事件。
他にもまだいくつか余罪があると
みられている。
トニー・リン・セルズの逮捕
1999年の12月31日に起きた事件
では、被害者のクリスタル・サーレスが
のどを裂かれながらも存命。
これにより似顔絵を作成し、浮上してきた
容疑者のトニーを逮捕。
トニーは逮捕後も犯していない犯行をほの
めかして捜査を撹乱していた節がある。
1987年のダーティン一家の事件では
事実関係がメディアにて公表されていた事
と概ね一致していたが、それ以外の捜査員
でしか知り得ぬ部分については曖昧な答え
が返って来ており、この事で一度州検事は
トミーの告発を辞退している。
こうした一連の自白の中に1997年の
ジュリー・レアの冤罪事件自白も含まれ
ていた。
トミー・リン・セルズの死刑執行
2014年4月3日、トミー・リン・セルズの
刑が執行されました。刑の判決はハンツビルの
テキサス州刑務所で行われ、最後の発言について
は彼はその権利を放棄しています。
まとめ
トミー・リン・セルズの過去の犯罪歴や経歴
を調べてみたのですが、幼少期のトラウマが
彼をこのようにさせてしまったのか?と
思わなくもないですね。
彼がしたことは許せるものではないの
ですが、負の連鎖がどこかで止まらぬ
ものか?と思います。
被害に会われた方々のご冥福を心から
お祈り申し上げます。以上となります!