
こんちはニッチマンです。
津野米咲さんをご存知でしょうか?音楽一家に生まれ、SMAPやモーニング娘などに楽曲提供をしていた若き天才。彼女の生い立ちや経歴・プロフィールなどについてまとめてみました。
調べてみると津野米咲さんのWikipediaってないんですね。。。
津野米咲(つのまいさ)のプロフィール

https://twitter.com/kome_suck/phot
生年月日:1991年10月2日
出身地:東京都?
没年:29歳
職業:バンド活動(ギタリスト・作詞・作曲)
出身校:東村山西高校
津野米咲(つのまいさ)の経歴
津野米咲は祖父と父が作曲家・母はピアノ、2人の上の兄達もまた、ベースやドラムなどを叩く音楽一家の中で育ちます。親が作曲家という事もあり、一般的な子供にくらべ圧倒的にクラシックなどのJポップス以外の音楽に触れる機会も多く、津野米咲自身も音楽のスタートは3歳頃から始めたエレクトーンということもあり、その課題曲の中にも古典的楽曲が多く収めれていたことは容易に想像が付くと思います。
他にも幼少期からカーペンターズ・サイモン&ガーファンクル、アース・ウィンド・アンド・ファイアー・ペイブメント・小田和正・松任谷由実・ミスターチルドレン等を聞いていた。
自身の影響を受けた音楽家にあげるのはチャイコフスキーやジョン・ウィリアムズ、ジム・オルークなど、クラシックから近代の巨匠の影響を強く受けている事が伺える。その後の音楽の嗜好性についてはポップスが一番好きで、ジャズ、フュージョン、クラシックなど聴いていた音楽は多岐に渡る。
彼女のバンド『赤い公園』は元々は彼女が通っていた『東村山西高等学校』の軽音部に所属するバンドで、最初はバンドメンバーの『佐藤千明』『藤本ひかり』『歌川菜穂』の3メンバーに津野米咲が『サポートメンバー』として加入。彼女が1個上の先輩にあたり、その為他のメンバーから『さん』付けでよばれ、リーダー的存在としてバンドをひっぱっていた。
実は彼女は、大阪に引っ越しを予定していたのだが、このメンバーでの活動が楽しくなり一人残る事を決意。大阪に行く予定だったとあるが、詳しくは書かれていないがおそらく父親の地元が大阪だった事もあり拠点を移す為だったのではないか?と思われる。
高校時代の2010年に『赤い公園』を結成。その後立川のライブハウス『立川BABEL』を拠点とし2012年にEMIミュージックジャパンよりミニアルバム『透明なのか黒なのか』を発表しメジャーデビューを飾る。
津野米咲は同バンドの作詞作曲をほぼ行っており、打ち込み音源を作成した後にバンドメンバーですり合わせて行く手法を取っていた。(赤い公園以前はフィードバックやエフェクターを用いてギターの音を操作し東京事変の曲をキーボード抜きで演奏するなどしていた、打ち込みはお手の物だったと思われる)
2012年メジャーデビューを果たした後、同年10月に津野米咲の体調不良により活動停止。翌年の2013年に再始動。この年にSMAPの人気曲『JOY』を提供。これはSMAPの50枚目のシングルという大事な節目の曲であり、それを提供していると言うことは疑うことのない実力といえる。
バンド『赤い公園』自体はメンバーの脱加入を幾度か繰り返しながらも楽曲をリリース。メガヒットこそ無いものの彼女の作る曲は根強いファンに支えられていた。
2018年に現在のボーカルの石野が加わり、さらなる活躍が期待され、今年1月にリリースされた10thシングル『絶対零度』がフジテレビ系列のアニメ『空挺ドラゴンズ』のエンディングテーマとなり話題となったが今年2020年10月18日午前9時、東京都内の自宅でぐったりしてる所を発見され死亡が確認された。
津野米咲の提供した楽曲は?
- 南波志帆「ばらばらバトル」(作詞・編曲)「「ありゃりゃ?」」(作詞)
- SMAP「Joy!!」(作詞・作曲)
- タルトタタン「某ちゃん」(作曲)
- ベイビーレイズ「ビッグ☆スター!」(作詞・作曲)
- 遠藤舞「MUJINA」(作詞・作曲・演奏参加)
- 住岡梨奈「涙日和」(作詞・作曲・編曲)
- 竹達彩奈「クレンジングラブ」(作詞・作曲・編曲)
- BŌMI「月曜のメランコリー」(作曲)
- モーニング娘。'16「泡沫サタデーナイト!」(作詞・作曲)
- Buono!「ソラシド〜ねえねえ〜」(作詞・作曲)
- こぶしファクトリー「TEKI」(作詞・作曲)
- つばきファクトリー「笑って」(作詞・作曲)
- 鈴木愛理「光の方へ」(「鈴木愛理×赤い公園」名義、作詞・作曲・編曲)
- DIALOGUE+「Domestic Force!!」(作詞)
上記の数多くのアーティストに作詞や作曲を提供されています。SMAPの『JOY』だけでなく、ベイビーレイズやモーニング娘と同じハロプロのつばきファクトリー、こぶしファクトリーにも提供しているのは津野米咲さんがハロプロ・アイドル好きという背景が伺える様にも感じます。
まとめ
津野米咲さんのプロフィールや経歴についてまとめてみました。音楽一家で生まれ、親についていくこと無く東京に残り、リーダーとしてバンドを仕切っていたようですね。責任感が強い印象を受けました。音楽一家ということもあり、感受性は絶対高かったと想います。今回の訃報を聞いて調べてみたのですが、輝かしい才能をお持ちの若者がまた一人この世を去ったのは悲しいものですね。